OIGENにはAutoCamp新聞が毎月届きます。
いつもはちらほら眺めるだけなのですが、ここ4カ月はある記事にくぎ付けになりました。
3.11で被災した陸前高田のオートキャンプ場の記事です。
書いていたのはそこの支配人の蒲生哲さん。
ずいぶん前にダッチオーブンのイベントでお世話になった方でした。
地震が起こってからの津波の様子がリアルに綴られています。
彼もたくさんの友人・親戚を亡くされたそうです。
お悔やみ申し上げます。
さて、このキャンプ場は広田半島の先の高台にあり、津波の被害はうけませんでした。津波で町を追われた人たちは必然的に高台にあるキャンプ場を目指しました。
ここは、たくさんの被災者の受け皿となったのです。
モビリアにはキャンプ場という特質が幸いし、飲み水がありました。毛布がありました。そして、何よりも蒲生さんと言うリーダーがいました。蒲生さんの明るいお人柄がたくさんの人たちを勇気づけたことでしょう。
記事の中には被災の大変さとともに、キャンプ場が持つ大きな役割についても語られています。前向きな彼の姿に久仁子はただ感激するばかりです。
まだまだ大変なことは多いと思いますが、応援しています!
OIGENでは2003年の5月4日と9月14日にダッチオーブンのイベントでお世話になりました。
一日も早く、この写真のように、普通の家族連れが楽しめるキャンプ場に戻りますように。。。
いつもはちらほら眺めるだけなのですが、ここ4カ月はある記事にくぎ付けになりました。
3.11で被災した陸前高田のオートキャンプ場の記事です。
書いていたのはそこの支配人の蒲生哲さん。
ずいぶん前にダッチオーブンのイベントでお世話になった方でした。
地震が起こってからの津波の様子がリアルに綴られています。
彼もたくさんの友人・親戚を亡くされたそうです。
お悔やみ申し上げます。
さて、このキャンプ場は広田半島の先の高台にあり、津波の被害はうけませんでした。津波で町を追われた人たちは必然的に高台にあるキャンプ場を目指しました。
ここは、たくさんの被災者の受け皿となったのです。
モビリアにはキャンプ場という特質が幸いし、飲み水がありました。毛布がありました。そして、何よりも蒲生さんと言うリーダーがいました。蒲生さんの明るいお人柄がたくさんの人たちを勇気づけたことでしょう。
記事の中には被災の大変さとともに、キャンプ場が持つ大きな役割についても語られています。前向きな彼の姿に久仁子はただ感激するばかりです。
まだまだ大変なことは多いと思いますが、応援しています!
OIGENでは2003年の5月4日と9月14日にダッチオーブンのイベントでお世話になりました。
一日も早く、この写真のように、普通の家族連れが楽しめるキャンプ場に戻りますように。。。
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